2006/08/15  小笠原旅行  4日目 | ||||||||||||||
南へ 朝の天気予報を見て一同愕然とした。 台風がもう一つ接近している。 ダブルで襲われるとは、なぜこんなことになるのか・・。 唯一の救いは雨が降らないことである。 泳ぐ人は泳ぎに、散歩する人は散歩しに、めいめいが気の向くまま好きなことを出来るのが一人旅。 さて今日はどこへ行こうかな? 昨日は島の北端まで行ったため今日は南へ行くことにした。 原付に乗ってのんびりと島を南下。 北港へ向かう道ほどきつい山道ではない。 町の集落を出ると車はおろか人の姿も全く見かけない。 そもそも人が住んでいないから電気も引かれていない。 そんな中で道路工事現場の横を通り過ぎた。 特に痛んでいるようにも見えないが路面の改修工事をやっているらしい。 道路を走っていて思ったのだが一日何台も車が通らない道路が過剰なまでに立派である。 金を持っているな・・さすが東京都と言わざるを得ない。 いくら地元に雇用をもたらすとは言えこりゃ明らかに税金の無駄遣いだろ。 2月に行った奄美大島だったら確実に砂利道なんだろうな。 15分ほどで道路の終点に到着した。
メジロ 終点はこれまた立派なロータリーになっている。 工事で余ったコンクリートを最後に全部使ったような感じか? 都道最南端の看板が立てられていた。 経度は東京都ほとんど変らないが緯度が10度も低い。 ここから遊歩道を歩いて島の最南端南崎まで歩くことが出来るのだが、波が高く泳ぐことも出来ず、 全くの手ぶらで来てしまったため南崎へ行くのはあきらめた。 (後から行けばよかったなと少し後悔) 薄日の差す中、しばらくボーっとしていたら道路の上に何か落ちているのに気づいた。 メジロが死んでいる?いや少し動いているから生きている。 指でつついたら我に返ったようにふらふらっと飛び上がりすぐに着地した。 近づいても逃げないため接写で写真を撮った。 程なくメジロは何も無かったように飛び去った。 おそらくどこかにぶつかって気を失っていたのだろう。 やってきた道を戻ることにする。
大荒れの御幸之浜 海中公園のある御幸之浜に立ち寄った。 サンゴ礁が広がり魚が群れをなして泳ぐ非常に美しい海岸のはずだが、目の前には波が岩に当たって砕け散る荒涼とした風景が広がっていた。 冬の日本海のような荒々しい風景、暴れん坊将軍のオープニング顔負けである。 こりゃ泳いだら死ぬな・・。 この荒れた天気を呪ってみた。 その後、滅多に使われないだろうヘリポートなどに寄ってみたが特に面白いものはなかった。 宿に戻って昼食。 毎日おにぎりを作ってもらうのだがこれでは足りない。 持参した自炊セットでインスタントラーメンを作る。 実は、電話で宿を申し込んだときに食事は出ませんと言われていたため自炊道具一式を持ってきていた。 (しかし来てみたら食事はちゃんと出た) せっか持ってきたから使うか。 ラーメンをすすっていたら正午の時報とともにサイレンが鳴り響いた。 今日は終戦の日である。 食事の手を休め、宿のベランダでしばし黙祷。 昼食を食べたらベランダでだらだらしていた。
展望台と帽子 宿から歩いてすぐの高台に展望台がある。 商店に飲み物を買いに行ったついでに展望台に行ってみた。 砂浜から遊歩道の階段を登っていくと目の前の景色が開けた。 傾いた陽が荒れる海原を鈍く照らしている。 目の前には向島、母島から南に伸びる平島が見える。 晴れていたら太陽が水平線に沈みゆく雄大な景色を見られるんだろうが・・。 またもやこの天気を呪った。 宿に戻ると近所に住むシゲタさんが椰子の葉で帽子を作っていた。 東京電力の母島発電所に勤めており、年に2回ほど趣味で手作り帽子を作りにユースホステルにやってくるとのこと。 一枚の大きな葉に切れ目を入れ器用に編み上げていく。 途中から自分でやってみた。 言われるままに編んでいくとすごい、確かに帽子が出来上がった。 ハワイの原住民に編み方を習ったらしい。 通常ならその場で聞いておしまいだが、しつこく何度も教えてもらって自分の技にしたそうだ。 父島に行くと同じものを結構いい値段で売っているらしい(笑) 今晩も夕食後に軽く飲みに行く。 島内には飲み屋が数軒しかないため全店制覇する日も近い。 ユースホステルに泊まりながら毎晩飲み歩くのも珍しい体験である。 そして宿に帰ったら今晩も酒盛り。 シゲタさんが持ってきてくれた穴ダコの煮物を頂く。 今日はのんびりと過ごしてしまった。
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